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【北欧フィンランド】  ガラスデザインの歴史

フィンランドに広がる自然のように自由にのびのびとしたガラスデザインの作品。

決して派手でもなく、静かに楽しい。それはまるでフィンランドの人々のように、素朴でありながら、地味にコツコツと努力を惜しまず、優秀であり、アイデンティティがしっかりあって、創造的で、そして静かな・・・、勝手にそんな風に思ってしまう。

 

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2012年に東京、サントリー美術館で開催された、

「森と湖の国 フィンランド・デザイン」

フィンランドのガラス製造は、18世紀半ばから始まっていたが、その頃のフィンランドはスウェーデン 王国の支配下、1809年にはロシア帝国に併合、1944年ソビエト連邦との戦争はフィンランドの敗戦によって終わり、多額の賠償金を支払う事となるなど、発展と苦難の日々を送ってきました。

この展覧会のカタログでは、フィンランドのガラスデザインの歴史について大変くわしく書かれています。フィンランドのガラスデザインに関する資料が少ない中、大変貴重であると思い、こちらに、記載させていただきます。

 

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フィンランド・ガラス・デザインの黄金時代/カイザ・コイヴィスト(フィンランド国立ガラス美術館主席学芸員)

 フィンランド のガラス

フィンランド のガラス産業は、規模が小さく、長い伝統があるわけでもない。ガラスが作られ始めたのもヨーロッパで1番遅い方だ。最初のガラス工場は1681年に設立されたが、本格的なガラスの製造は18世紀半ばになってから始まった。その頃フィンランドは、スウェーデン王国の支配下あったが、スウェーデン は、世界有数の鉱業国で、鉄と銅の生産のために薪などの木材を大量に使用したため、木材資源の枯渇が心配されていた。そこで政府は、やはり木材を多用するガラス生産をフィンランド領で行うという方針を打ち出し、18世紀から19世紀にかけて王国内で生産されるガラスの約半分はフィンランドで作られるようになった。その多くは瓶や窓ガラスで、スウェーデン 市場に向けて出荷された。

 だが1809年、フィンランドがロシア帝国に併合されると、スウェーデン 市場は失われてしまう。この貧しい辺境の国では工業化の機会も限られていた。経済が変わり始めたのは、株式会社の設立が可能となり、職業選択の自由が認められるようになった1860年代になってからである。フィンランド独自の貨幣(フィンランドマルク)が発行され、最初の鉄道が1862年に開通すると、工業開発が始まり、製材所や製紙工場が建設され、貨幣経済が次第に地方にも広がった。

 老舗のガラス会社の中では、1850年代始めにヌータヤルヴィ(1793年設立)が他社に先駆けてプレスガラス(型押しガラス)の生産を開始した。その他の会社も生産技術を刷新した。効率のよい製造炉が導入され、製造チームが結成され、分業体制により生産量が増えた。製材所は、燃料として使える廃木材を提供した。イッタラ(1881〜)、カルフラ(1889〜2009年)、リーヒマキ(1910〜90年)などのガラス会社は、このような木材加工業の発展に歩調を合わせるように新たに設立されている。当時はまだ、デザインやモデルの著作権が存在しなかったため、これらのガラス会社は中央ヨーロッパの製品を次々とコピーした。

 世界第一次世界大戦以前も、デザイナーがガラス製品を作ることはあったが、その後1920年代から30年代にかけて、おもにスウェーデン のガラス工芸の影響により、多くのガラス工芸品が作られるようになった。1930年代に入ると、国際的な展示会が増え、フィンランド のガラス工芸品も出展されるようになる。フィンランドからの出展作品として1点物の美術品も作られた。このようにフィンランド独特のガラス・デザインが次第に作られていったが、それも1939年に勃発した第二次世界大戦によって中断を余儀なくされた。

 戦争は、ガラス産業にも大きな影響を及ぼした。フィンランドはガラスの原材料を輸入に頼っていたため、戦争中には窓ガラスや瓶などの必需品しか製造することができなかった。

 

耐乏時代の豪華な作品

フィンランドとソヴィエト連邦との戦争は、1944年秋フィンランド の敗戦に終わった。占領こそされなかったものの、国民は政治が大きく変わることを恐れた。実際、政治や経済は困難な状況に陥った。フィンランドは多額の賠償金の支払いをソ連から要求され、南東部のカトレアはソ連に割譲された。住民は全てフィンランド の他の地方に移住した。

 1946年は、フィンランド のガラス・デザインにとって転機の年となった。この年以降、新製品はほぼ全て、プロのデザイナーが手掛けるようになったのである。

 乏しい外貨は、戦後の復興を担う産業に必要だった。原材料を輸入に頼っていたフィンランドのガラス産業は、1950年代始めまで原材料不足に悩まされた。当時はイギリスとアメリカが主な輸出先だったが、これらの国ではフィンランドはソ連圏に属しており、やがてはチェコスロヴァキアのように共産化すると信じられていた。したがってフィンランドは西側諸国の一員であり、高品質の工業製品を作る能力をもっと示すことが、輸出産業にとっても重要だったのである。フィンランドはデザインと応用美術の分野で他の北欧諸国と肩を並べるようになり、フィンランド の応用美術はスカンディナヴィアン・デザインと位置付けられるようになった。

 戦後、フィンランドではガラス食器など全ての生活用品が不足していた。ガラス器の価格は統制され、生産しても利益はほとんど上がらなかった。一方、アートガラスは国外の展覧会に出展され、フィンランド のガラス工芸品は、最初は1940年代後半の北欧諸国で、さらに1950年代には広く国際的に興味をもたれるようになった。

 フィンランドでは、明るい未来に向けたガラス産業の国内PRの手段としてアート・ガラスが使われた。デザイナーは「アーティスト」と呼ばれ、アート・ガラスが初めてヴィジュアル・アートの一分野とみなされるようになった。当時のアートガラス・オブジェの多くは、応用美術というよりはミニチュワ彫刻だった。1940年後半から50年代前半にかけて有名になったフィンランド製ガラスアートは、そのほとんどがシリーズで制作されている。いずれも同じものはひとつとしてない、一点ものの作品である。国際的な評判は国内でのマーケティングに利用され、デザイナーは時代の寵児となった。積極的な広報活動により、デザイナーという職業も注目されるようになった。よいデザインとは何かが盛んに議論され、人々の美的センスを向上させるための数々の一般向け教育活動も行われた。

 

吹きガラス職人とアーティストの共同作業

スウェーデンの事例に倣い、北欧各国でもデザイナーやアーティストと現場の吹きガラス職人との共同体制が次第に確立していった。

 

芸術となったガラス器

戦後の物不足と耐乏の時代は1954年に終わりを告げ、フィンランド のガラスメーカー間の競争が始まった。以後、量産品をいかにデザインするかという、デザイナーの事にも注目が集まるようになる。最初イッタラ社やリーヒマキ社などの大手は、デザインに優れたヌータヤルヴィ社の製品が、中上級の市場を席巻していくのを眺めているだけだった。そこでイッタラ社では1954年、<タビオ>シリーズのガラス器がデザインされた。このコレクションは現在でも生産されている。また経済的に行き詰まっていたリーヒマキ社も、1955年年のフィンランドフェアーにおいて、家庭用ガラス器のメーカーとして見事に復活を遂げた。

 

ガラスの輸出

1950年代、回復めざましいフィンランド のガラス産業は、輸出規制の解除に向けた準備を始めていた。当時、国内で製品を輸出していたガラス会社はヌータヤルヴィ社のみで、輸出先も主にスウェーデン とアメリカに限られていたが、1961年、フィンランドが欧州自由貿易連合(EFTA)の準加盟国になると、イッタラとリーヒマキ社も輸出を開始した。

 1960年代に入ると、イッタラ社が業界トップの輸出メーカーとなった。

 

オイルショックからグローバル化へ

戦後の時代は未来への信頼に満ちていたが、それも1960年代後半の政治的混乱によって次第に失われていった。フィンランド のガラス産業が危機に直面したのは、フィンランドだけでなく全世界を襲ったオイルショックによってである。その対策として1973年12月、フィンランドは総合的なエネルギー節約対策を発表した。同年フィンランドがEEC(欧州経済共同体)と協定を結んだことも、北欧の産業への打撃となった。以後、北欧のガラス産業が以前の勢いを取り戻すことはなかったと言われるだろう。同じ頃にスカンディナヴィアのデザインの魅力も薄れていった。政治的にも「人々の家」をキャチフレーズとするスウェーデン の福祉国家に示されるような、平等を強調する北欧社会は、もはや世界の手本でなくなった。

 

デザインとの相互作用は続く

オイルショックと高いコストによって、フィンランドのガラス製品が今後安価に作れないことは明らかになった。そのため、デザインの重要性はますます高まっている。商品を売るには、デザインによって価値を高めるしかない。1988年、イッタラ社とヌータヤルヴィ社が合併した。今であも人気があるのは、アールトの花瓶やカイ・フランクのプレスガラスなど、フィンランド ・デザインの「黄金時代」のアイテムである。

 グローバル化が進む世界で仕事を続けていくのは、ガラス業界、デうザイナー、アーティスト、ガラス職人にとっての挑戦だ。

 

参考文献

「森と湖の国 フィンランド・デザイン」カタログ、サントリー美術館発行、2012年

*2019年3月、フィンランド国立ガラス美術館を訪れました。

*「森と湖の国 フィンランドデザイン」展を開催してくださったサントリー美術館

の関係者の皆様、本当に素晴らしい展覧会を開催してくださった事、感謝いたします。ありがとうございました。カタログを参考文献として利用させていただきました事、感謝いたします。

 

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The Finnish Glass Museum, フィンランド国立ガラス美術館 フィンランド ヘルシンキ


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